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1: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-07-03 12:47:26 OMPVG0082

武田信玄の配下の信濃衆のひとり真田幸隆の三男

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2: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-07-03 12:48:39 OMPVG0082

三男だったので武藤家に養子に入り、武藤喜兵衛を名乗っていたが、長篠の戦で兄二人が戦死してしまったので、真田の家を継ぐ

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3: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-07-03 12:49:01 OMPVG0082

卓越した情報収集能力と知謀で信玄・勝頼に重用されたが、いかんせん外様なので、武田家中での発言力はあまり強くなかった

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4: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-07-03 12:49:28 OMPVG0082

敗亡必至になった勝頼を、昌幸の居城の沼田に引きとって再起をめざそうという案もあったようだが、勝頼は譜代の小山田信茂を頼り、結局裏切られて落命した

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5: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-07-03 12:50:05 OMPVG0082

徳川家と2回戦い、2回とも勝利した。
いずれも少数の兵で圧倒的大軍の徳川を退けた。
地勢を熟知して巧みに伏兵などを配したから

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6: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-07-03 12:50:39 OMPVG0082

一種の「神話」となり、本人もそれを自覚していた。
九度山配流中、東西手切れの際に徳川軍を叩きつぶす策を立てていたと言われるが、それも「ワシが大坂に入ったと聞けば、大坂が勝つと見る大名も多くなるだろう」という、「神話」を前提にした作戦だったようだ。
子の幸村に、「この策はワシにならできるが、そなたは広く名を知られていないので無理だ」と言った。
単に楽観的なだけともとれる。配流されてもあっさり許されるという甘い予想しており、そう思ってもいないと辛い流人生活に耐えられなかったとはいえ、自分のしたことが社会にどう受け止めらるかの自覚が弱い

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7: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-07-03 12:51:04 OMPVG0082

「表裏比興の者」と呼ばれた

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8: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-07-03 12:51:20 OMPVG0082

石田三成とは、嫁さん同士が姉妹

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9: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-07-03 12:51:45 OMPVG0082

天正10年(1582年)からの動き:武田家家臣 → 3月武田家滅亡 → 織田家臣従 → 6月本能寺の変で織田信長死亡 → (一瞬だけ)上杉家 → 北条家 → 徳川家。
1年で5人の主君を変える表裏比興っぷり。ちなみに徳川家からまた上杉家、そして豊臣家と変遷は続く

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10: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-07-03 12:52:20 OMPVG0082

実はとても義に厚い人物。全ては真田家を守るためと主君 武田信玄・勝頼のため。謀略に長けていて何度も主君を変えていると言われているが、それは元々の主君 武田家への忠義を貫き武田家が治めていた領地を取り戻すため、そして先祖代々続く真田家を守るため。真田家を滅ぼすことは先祖と武田家両方の恩に背くことになる

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