そして平成20年(2008)、「山本管助」に宛てた信玄の書状が2通発見されました。群馬県安中市の旧家・真下家で発見されたため、『真下家文書』と呼ばれます。 2通のうち1通は、天文17年(1548)4月、管助の信州伊那における働きに対して、恩賞を与えることを信玄が伝えたものでした。同年2月、信玄は上田原の戦いで村上義清に大敗を喫し、宿老の板垣信方らを失っています。武田の信濃統治が危うくなる中で、山本管助は伊那郡を確保する上で大きな役割を果たしたのであろうことが窺える内容でしょう。もう1通は時期がわかりません。某年4月20日、信玄が管助に対して、軍事作戦の検討と、宿老の小山田氏の病状見舞いを命じたものでした。信玄は文中で「揺(ゆらぎ、軍事作戦のこと)については、よく検討するように」と記しています。そこからは、信玄が管助に、軍略を任せていた可能性が窺えるといいます