学術誌『Antiquity』に掲載された新しい研究は、このモアイ像の謎を解く鍵が、ポリネシア全域の文化的な交流にあることを示唆している。
これまで、イースター島は何世紀にもわたって外界から孤立した島だと考えられてきた。しかし、ポール・ウォリン教授らの研究チームは、太平洋の島々に点在する儀式的な遺跡の年代を「放射性炭素年代測定法」という科学的な手法で分析。その結果、驚くべき文化の流れが明らかになったのだ。
まず、西暦1000年から1300年にかけて、儀式の場を示すために一本の石を立てるという文化が、西ポリネシアから東へと広まっていった。そして最後に人が住み着いたイースター島に、その文化が最後に到達した。ここまでは従来の説と一致する。
しかし、その後に起きた「第2の波」が、定説を覆した。
西暦1300年から1600年にかけて、「アフ」と呼ばれる石の祭壇を伴う、より形式的な儀式建築がポリネシア全域で広がり始める。驚くべきことに、この「アフ」の発祥地は、なんとイースター島だったのだ。つまり、文化は東から西へ、つまりイースター島から他のポリネシアの島々へと「逆流」していたのである