清軍が優勢に戦う
清仏戦争では、劉永福の率いる黒旗軍もベトナムでフランス軍を破ったが、同じく客家出身の老将馮子材が活躍した。すでに70歳を超えていたが、フランス軍に押されて中国本土まで後退した清国軍の前線に赴いて総指揮官となり、精鋭部隊の先頭に立って戦って諒山の戦いでフランス軍を撃退した。フランス海軍は中国沿岸を北上して長江河口や台湾、澎湖島などに砲撃を加え、清朝を威圧した。しかし清の海軍もよく戦い、台湾ではフランス軍の軍旗を奪ったり、鎮海湾(浙江省)の戦闘では正確な砲撃でフランス軍を攻撃、海軍司令官クールベ提督を戦死させた。陸上の戦闘では、洋務運動の成果として近代装備を身につけた清軍が果敢にフランス軍と戦い、有利に戦局を展開させていた。あいつぐフランス軍の敗北によって、本国では責任をとってフェリー内閣が倒れてしまった