キプチャク=ハン国からの自立
その後、モスクワ大公国はロシアのいくつかの公国を併合し、イヴァン3世の時にはノヴゴロドなどを併合してロシアの統一を進めた。1472年、イヴァン3世は滅亡したビザンツ帝国の皇帝の姪と結婚して、その国章である「双頭の鷲」を受けつぎ、後継国家としての権威を得た。これによって都のモスクワは「第三のローマ」と言われることになる。また1480年、キプチャク=ハン国への貢納を拒否したイヴァン3世は、ハン軍を戦わずして退却させて「タタールのくびき」からのロシアを解放を実現した。次のヴァシーリー3世は、プスコフ、スモレンスク、リャザンなどの公国を併合、ほぼロシア国家の統一を達成し、周辺のカザン=ハン国、クリミア=ハン国、リトアニア、ポーランドなどの周辺諸国に対抗できる国力をつけた。
しかし、その戦力である騎士に与える封土が不足し、修道院の領地を没収しようとしたが、それは修道院の土地領有を否定する清廉派とそれを擁護する保守派の宗教的対立を生み、実行できなかった。また、イヴァン3世の法令で農奴制が強化され、農民への拘束を嫌って南部に逃れる農民が多くなり、彼らはコサックとなって一定の力を持つようになっていった