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6: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2025-11-14 15:01:11 OMPVG0082

雷帝死後の動乱時代 1584~1613年

 1584年にイヴァン4世(雷帝)が死去すると、次男ヒョードルが継承(長男イヴァンは1581年11月に父に殴り殺された)したが、統治能力が無く、実権はその妃の兄のボリス=ゴドゥノフが握った。さらにヒョードルが死んで後継者がなかったためリューリク朝は断絶し、1598年に貴族会議でボリス=ゴドゥノフが皇帝(ツァーリ)に選出された。彼は対外戦争を終わらせる一方、外国貿易を盛んにしたり、大学を設置したり、近代化政策を採って評価される面もあるが、ヒョードルの子ドミトリーを暗殺した疑いが強く(おそらく真実)、人気はなかった。そのためその死は、死んだはずのドミトリーを名乗る人物が次々と現れ(偽ドミトリー)、皇帝を称するなど混乱が続き、動乱状態となった。それにつけ込んだポーランドが一部のロシア貴族と結んでモスクワを占領すると、民族派の貴族が団結してモスクワをポーランド軍から奪還し、全国会議を召集して新しい皇帝に、ボリス=ゴドゥノフによって追放されていた貴族ロマノフ家の後継ぎの16歳のミハエル=ロマノフを選出し、動乱時代を終わらせた。1613年、ミハイルが即位し、ロマノフ朝が始まった。日本でいえば織田信長の死から豊臣秀吉を経て徳川家康が江戸幕府を樹立した時代に当たる

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