ロシア国家のキエフ公国がモンゴルに滅ぼされてから、ルーシはいくつかの地方政権にわかれ、それぞれキプチャク=ハン国に貢納してその間接的支配を受けることとなった。いくつかある地方政権の中で、次第に有力となったのがモスクワ公国であった。1283年、アレクサンドル=ネフスキーの子ダニールがモスクワ公となってモスクワを本拠にして次第に領土を拡大させていった。キプチャク=ハン国に対しては臣従の姿勢をしめしてその徴税を請け負い、14世紀前半のイヴァン1世の時から、モスクワ大公国と言われるようになった。1380年、モスクワ大公ドミトリーはドン川のクリコヴォの戦いでキプチャク=ハン軍と戦って勝ち、ドミトリー=ドンスコイといわれ、独立の道を歩み始めた