「第三のローマ」モスクワ
(引用)このように、国内を統一し、「タタールのくびき」を脱して独立国家となったモスクワは、これ以後国際的にもヨーロッパの東辺に位置する重要な国家となっていく。このことをよく表しているのは、1472年の、イヴァンとビザンツ帝国最後の皇帝コンスタンティノス11世の姪、ゾエ(ソフィア)との結婚であろう。また次のヴァシーリー3世治世に、プスコフの僧フィロフェイがモスクワを、ローマとコンスタンティノープル(第二のローマ)に代わる「第三のローマ」とよび、第四のローマは存在しないであろうと記したのも、モスクワの高い地位と自負を表現していたと言えよう。<栗生沢猛夫『ビザンツとスラヴ』世界の歴史11 1998 中央公論社 p.436>