ローマ化したゲルマン王
(トリップアドバイザー提供) 東ゴート王国はイタリア半島のほぼ全域を支配したが、征服者であるゲルマン人はローマ人に対して少数であり、またローマ文化の優越は現実であった。テオドリック自身、8歳の時に人質として東ローマ帝国の都コンスタンティノープルに送られ18歳まですごしており、また東ローマ帝国に協力してオドアケルを倒した経緯もあり、東ローマ帝国に対しては常に従順であった。彼はゲルマン人に対しては王であったが、東ローマ帝国に対しては一官吏としての立場を守り、貨幣の発行は東ローマ皇帝の名で行い、軍隊のみはゴート人が占めたが、行政はローマ人官吏に行わせた。法律も軍隊をのぞいてローマ法を施行した。彼自身、ローマ名のフラヴィウスと名乗り、率先してローマ化を進め「つねに尊厳にして、ローマの名の普及者」との称号を得た。しかし、信仰ではアリウス派キリスト教を捨てず、三位一体説をとるローマ教会とは対立し、その反発を受けた。その点では彼のイタリア支配は完全にはいかなかった