宇和島藩は、江戸時代に伊予国南部、現在の愛媛県宇和島市周辺を治めていた藩です。藩庁は宇和島城に置かれ、石高はおおむね十万石規模とされています。成立は慶長年間の宇和島城下整備に始まり、明治4年の廃藩置県まで続きました
宇和島藩を語るうえで中心となるのが伊達家です。もともと藤堂高虎や富田信高がこの地を治めた後、仙台藩主・伊達政宗の長男である伊達秀宗が慶長19年に十万石で入封し、それ以来、廃藩置県まで伊達家が藩主を務めました
幕末には、第8代藩主・伊達宗城が特に有名で、幕末四賢侯の一人に数えられています。宗城は公武合体を唱えつつ藩政改革と西洋技術の導入を進め、軍制や教育の近代化に力を入れました
宇和島藩は、規模としては中程度ながら、幕末には「進取の気風」を持つ藩として知られました。蒸気船建造計画や西洋砲術の導入、西洋医学を学ばせる取り組みなど、宗城のもとで近代化を積極的に進めた点が特徴です
一方で、財政基盤を支えるために紙の専売制度なども行い、同じ伊予国の吉田藩とともに地域の経済と年貢制度を支えていました
宇和島藩の象徴が宇和島城です。藤堂高虎が近世城郭として整備し、その後伊達家によって天守が建て直されました。現在も現存12天守の一つとして残り、宇和島市のシンボルとなっています。 城下町は宇和海に面した湾岸に発達し、リアス式海岸の地形を生かした港町としても栄えました