山陰地方を中心に多くの所領を持ち、一時は日本全国の6分の1が彼の所領だったとさえ言われ、「六分一様」と呼ばれた武将
応仁の乱の一方の総帥。 もう一方の総帥の細川勝元は宗全の娘婿だった
最初は日野富子に頼まれて、足利義尚の擁立のため総帥になったが、そのうちgdgdになってわけのわからないことに
「赤入道」というあだ名もあった。 高血圧だったっぽい。応仁の乱の最中に頓死
先例よりも「今この時」が大事だと喝破した逸話で知られる。 安土桃山時代の流行語の「当世」もほぼ同じ意味。宗全は正に未来を予言したと言える。 しかし、彼の子孫はその時勢に飲み込まれて滅んでいったのは皮肉と言えなくもない
本名は山名持豊。宗全は出家後の名前