竹生島流棒術の流祖は難波平治光閑という人で、琵琶湖の竹生島弁財天を信心し、長刀一流を夢想奉得した。今から八百余年前(寿永三年頃)の源平合戦に出て、その長刀でよく働きを極めたが、戦いの最中に長刀の込本から折れ、柄ばかりになりながらも、その残った柄を長刀の手で使い大勢を討ち取ったという。これから棒を編み出した。これはひとえに弁財天の冥恩であるとして、竹生島流棒術と名付けられた。
棒の前身である長刀は難波流といい、流祖・難波平治光閑は摂津の人で二代目宗家も摂津、三代目からは出羽庄内(山形県)に伝わり、十七代宗家の時に長崎県に移住し、現在の宗家に継承されている