それでも3歳馬の最高峰、日本ダービーのトライアル戦、芝2400mの青葉賞(当時は3着まで出走権を与えられた)で、ぎりぎり3着に入って出走権を得た。初めての重賞挑戦で、芝の長距離も初体験だったが、別馬のような変身ぶりで資質の片鱗を見せた。 ところが、右後脚に球節炎を発症。日本ダービーを断念せざるを得なくなった。不運はその後もサクラローレルについて回る。翌年1月、中山の金杯で重賞初制覇。春の天皇賞をめざして調教が積まれていたが、いざ本番という段になって今度は重い骨折に見舞われる