オスマン帝国の参戦理由
第一次世界大戦が勃発するとオスマン帝国は1914年11月11日に同盟国側に参戦し、14日には参戦は「聖戦」であるとの宣言を行った。ただちにダーダネスル=ボスフォラス海峡のドイツ軍艦の通過を認め、ドイツ海軍は黒海のロシア基地を攻撃した。
オスマン帝国の第一次世界大戦への参戦を主導したのは青年トルコ政権の陸軍大臣エンヴェル=パシャであった。彼は、最大の敵国ロシア帝国を解体してオスマン帝国の自然国境を回復することを参戦の目的として正当化した。その意図の中にはロシアの支配を受けている中央アジアのトルコ系民族を解放し、サマルカンドを都としたトルコ人の帝国を樹立するというパン=トルコ主義の思想があった。しかも、彼が巧妙であったのはパン=トルコ主義を突出させることなくパン=イスラーム主義に結びつけ、大戦にあたってジハードを宣言し、ロシア領内だけではなくアフガニスタンやインドなどのイスラーム教徒には反英闘争を呼びかけた。<山内昌之『納得しなかった男』1999 岩波書店 p.43~43>
しかし、この呼びかけにはほとんど反応がなく、かえって戦争中にアラブ人のオスマン帝国からの独立を目指す「アラブの反乱」が起こることとなる