ブルボン家とハプスブルク家の対立
侵略の口実は、1659年にフランスとスペインの締結したピレネー条約にある。当時、三十年戦争終結後も両国は戦争を継続していたが、マザランは1659年、ようやく講和に応じピレネー条約を締結した。その条約の中でフランス王ルイ14世とスペインの王女マリア=テレサの婚約が取り決められたが、マリア=テレサは持参金を支払う代わりに父王フェリペ4世からの財産相続権を放棄することになっていた。ところが両者の結婚が行われてからも、スペインからの持参金が支払われないままになっていたところにフェリペ4世が死去、その遺言書でスペイン王位は4歳のカルロス2世が継承、カルロス2世(病弱であった)が死んだ場合は、マリア=テレサの異母妹(オーストリア=ハプスブルク家と婚約していた)に財産を与える、となっていた。これでは将来、再びハプスブルク家がオーストリアとスペインの双方を支配することになるかも知れず、ルイ14世は激怒した。ルイ14世はスペインに抗議、スペイン領南ネーデルラントの一部の割譲を要求して1667年5月に侵攻を開始した。要するに持参金に肩代わりする領土を要求したことになる