日本へは1991年7月に全日本プロレスに初来日。テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムスと共闘してスタン・ハンセンとも対戦し、シングルマッチでは田上明からフォール勝ちを収めた[19]。1992年8月には新日本プロレスに参戦し、G1クライマックス決勝戦で蝶野正洋に敗れるも準優勝を飾り[20]、1994年は馳浩らと激闘を繰り広げたが[21]、5月1日に福岡ドームでスティングからWCWインターナショナル世界ヘビー級王座を奪取した試合中に頸椎損傷の重傷を負い、以降は一度も試合をすること無く現役選手としては引退状態となり、マネージャーに転向した