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3: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2025-08-28 16:26:34 OMPVG0082

マジャパヒト王国の歴史

 1292年、モンゴル帝国の遠征軍がジャワに来攻したとき、『パララトン』によるとラーデン・ヴィジャヤはタルタル人(モンゴル人)の王と友人であったので、二人の姫をえさとしてタルタルの王に来攻をさそったというが、もちろんこうした事実は無い。ラーデン・ヴィジャヤはどさくさにまぎれて妹姫を救い出し、計略を用いてタルタル軍を追い払い王位についたとされている。その後も各地で反乱が続き安定していなかったが、1350年に即位したハヤム・ウルク王は、1370~81年にジャワ(闍婆)国として明に朝貢し、ガジャ・マダという宰相によって理想的な政治が行われたという。『ナーガラクルタガマ』によると14世紀のマジャパヒト王国の統治は、現在のインドネシア共和国と同じ範囲に及んだとされており、それが現在のインドネシア共和国が支配する領域の歴史的根拠として強調されているが、実際の支配はジャワ島とバリ島の周辺にとどまっており、ジャワ島の農業生産力が増大して人口が増え、文化が発展するとともに交易圏を拡げたと言うことだったと思われる。
 1389年にハヤム・ウルク王が没してからは再び分裂状態となり、1405年、鄭和が第1回航海でジャワ島に立ち寄ったときは、内戦の最中だったという。15世紀の中ごろからジャワ島の海岸部にもイスラーム教徒が港市を建設するようになり、マジャパヒト王国は内陸においやられ、首都マジャパヒトもいつ頃か放棄されて、地方政権が分立する状態となった。<生田滋他『前掲書』p.-248>

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