正確にはサラーフ=アッディーン(「宗教の救い」の意味)だが、ヨーロッパにはサラディンという名が伝えられ一般化した。シリアのクルド人人部将アイユーブ家の出身で、イスラム神学を修め、17歳でダマスクスのザンギー朝につかえた。サラディンの父のアイユーブは、ザンギー朝を創設したザンギーの有能な武将として活躍していた。ザンギーの子のヌールアッディーンが、エジプト・ファーティマ朝の内紛に介入して、アイユーブの兄弟のシールクーフを派遣したとき、その甥のサラディンもそれに従って出征し、アレクサンドリアの攻略などで活躍した。シールクーフはファーティマ朝に乗り込んで宰相に任じられ、実権を握った。1169年、シールクーフが急死したため、ファーティマ朝宰相となったサラディンは、カイロで実権を握って実質的にアイユーブ朝を起こした