平泉で亡くなったとされる源義経ですが、実は生き延びて蝦夷へ渡り、そこから海を渡ってモンゴル帝国を築いたというトンデモ話が日本史の都市伝説として語られています。これも信憑性は低いですが、一部では有名な話です。
紋章が同じ 源義経もチンギス・ハンも笹竜胆の紋章だったことなどから、同一人物だったのではないかという話があります。 ただ、紋章が同じだっただけでは、同一人物と断定することはできません
時系列が同じ 源義経とチンギス・ハンが生きていた時代が合致するのも、同一人物だといわれている理由となっています。 源義経が死んだとされるのが1189年で、チンギス・ハンが皇帝に即位するのが1206年。歴史上、活躍しだしたのが1190年代であることから整合性はあります。 半生が不明だったチンギス・ハンとの間に矛盾がないことから、源義経こそがその正体だったという可能性も0%ではありません。 もちろん、トンデモ話の域は出ませんけどね
出身地が似ている ニロン族出身と言われるチンギス・ハンですが、このニロンとは日本が訛ったものだといわれています。 そもそも文献があまり残っていなくて謎が多いので、これに関しては信憑性があまりにも低いです
戦術が似ている ある意見によると軍事的な戦術が似ていたことなどからも、同一人物だと考えている人がいるようです。 ただ、当時は重火器などの兵器もなかったため、戦術が似通ってくるのは十分にあり得ることです
有名なのに記録が曖昧 どちらの人物も歴史に名を遺す有名な人物ですが、その割には記録が曖昧で不明な部分が多いとされています。 チンギス・ハンの幼少期などの記録は少なく、前半生は年代も定かではない記録が多いこともこの説に拍車をかけています