スンナ派とシーア派の分裂
ウマイヤ朝の出現によって、イスラーム帝国は最大の領土を持つこととなったが、同時にカリフの地位を巡って、ウマイヤ家のカリフを認めるスンナ派と、第4代カリフの子孫のみをカリフと見なすシーア派の対立が始まり、教団としては分裂の時代となる。
680年、ムアーウィヤが死去しカリフの地位をその子ヤズィードが世襲すると、アリーの後継者フサインがクーファなどのシーア派に支援されて反ウマイヤ朝の反乱を起こした。しかし、バグダード近郊のカルバラーの戦いの戦いでウマイヤ朝軍に敗れ、フサインは従者と共に殺害された。これは「カルバラーの殉教」といわれ、カルバラーはシーア派の聖地とされ、その殉教の日(イスラーム暦のムハッラム月10日)を殉教者フサインを追悼するアーシュラーの祭りを挙行している。ムハンマドの血統をひくアリーとその子フサインの死によってシーア派は少数派としてイラクなどに存続することとなる