三ツ石山のピラミッド説は、1980年代のオカルトブームに端を発する。酒井勝軍(1874-1940)の『日本ピラミッド起源論』を基に、奇岩の積層が人工的な石積みとされ、東北のピラミッド候補に挙がった。山頂のストーンサークルが、祭祀や天文観測の場だった可能性が指摘され、竹内文書の影響で「超古代の神殿」とも呼ばれる。1985年、地元郷土史家の佐藤清氏が「三ツ石山は縄文の聖地」と発表し、注目を集めた。
縄文遺跡とのつながりは特に強い。山麓の室根川流域では、縄文前期の環状列石(ストーンサークル)が出土し、三ツ石山を磐座(いわくら)として崇めた痕跡がある。考古学調査では、奇岩の粘土が縄文土器の素材と一致し、古代人が岩を加工した可能性が示唆される。完全な人工物ではなく、自然の山を改変したものとされ、勾配の均整がエジプトのピラミッドを連想させる