開戦の口実と背景
ファルツ選帝侯カールが1685年に没した際、ルイ14世は弟の二番目の妻がカールの妹であったところから、その領土の継承権を主張した(呆れるほど強引ないいぶんではあります)。同じ年、ルイ14世はナントの王令を廃止してプロテスタント弾圧に乗り出したので、プロテスタント諸国を中心として周辺諸国は大きな脅威を感じた。オランダのウィレム3世が提唱して、オランダ・スウェーデンなど新教国と神聖ローマ皇帝・スペインの旧教国が結束してアウクスブルク同盟を結成した。フランスという軍事大国の覇権主義に対する、集団的自衛権の行使といったところである。そのころ、1683年にオスマン帝国の第2次ウィーン包囲が行われており、その脅威はまだ去っていなかったので、神聖ローマ帝国(オーストリア)は東西二面で戦わなければならなかった