イスラーム側から見たトゥール・ポワティエ間の戦い
なお、この戦いは、イスラーム側ではアブド=アッラフマーン=アルガーフィキーの率いるムスリム軍が、ローマがかつて築いた敷石道の近くで多数の死者を出した戦いとして「ビラート=アッシュハダー(殉教者たちの敷石道)の戦い」とよんでいる。キリスト教側は大勝利として記録も豊富だが、イスラーム側は数多くの戦闘のなかの一つとしてしか捉えていず、記録は簡潔である。イスラーム側にはそれ以上の侵入の意図はなく、戦利品を獲て撤退すればよいと考えていたらしい。<『新書イスラームの歴史1』講談社現代新書 p.197 などによる>