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5: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-03-13 16:16:56 OMPVG0082

設置場所をめぐるダ=ヴィンチとの確執  ミケランジェロのダヴィデ像がほぼ完成した時、フィレンツェ共和国政府は、この事業を直接に担当した毛織物業者組合をしてこの像をどこに置くべきか検討会を開催させた。その委員会にはボッティチェリやダ=ヴィンチなどすでに名声を得ていた芸術家が参加した。その委員会でダ=ヴィンチは議会前の広場でなく、その横のロッジア・ランツィの屋根の下に置くべしと主張した。風雪による破損を避けるために室内が良いというのがダ=ヴィンチの主張だったが、作者のミケランジェロは強く反発した。当時まだ30歳にもならないミケランジェロが、50歳を超えたダ=ヴィンチを罵ったともいわれる。この二人は1503年にもフィレンツェ政府の発注で政庁(パラッツォ・ヴェッキオ)の大広間に壁画の競作でライバルとして対抗心を燃やしていたが、この壁画は二人とも完成できなかった。
 ミケランジェロはあくまで“民衆の広場の光の中に!”置くことを主張したのだった。結局作者の意図が尊重され、この像は、政庁(パラッツォ=ヴェッキオ)前のシニョリーア広場に置かれることになった。そうしてダヴィデ像は、メディチ家を追放し共和政を守ろうとするフィレンツェ民衆のシンボルと見做され、フィレンツェの人びとはその後の年代を「ダヴィデ立てられしより」何年と数えるようになった。<羽仁五郎『ミケルアンヂェロ』1939 岩波新書 p.158-160>
 ただし、現在シニョリーア広場に置かれているダヴィデ像はレプリカで、本物はアカデミア美術館の室内で展示されている。

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