メディチ家礼拝堂
教皇クレメンス7世は自分を裏切ったミケランジェロであったが、その才能を高く評価していたからか、赦免し、メディチ家礼拝堂の建設の継続を命じたのだった。このあたりのミケランジェロの行動はわかりづらい。彼は、カトリック教会に対しては、若いころのサヴォナローラの影響もあって批判的であったらしいが、ルターなどの宗教改革に同調したわけではない。また芸術のパトロンとしてのメディチ家とローマ教皇とは、契約上や金銭上のトラブルを抱えながら、やはり依存している意識が強かったようだ。一方でフィレンツェ市民としての共和政への支持は明確であった。しかし、結局ローマ教皇の要請に従ってローマに移住し、フィレンツェには戻らなかったのは、深く負い目を感じていたからに違いない。