名画の修正 「さるまた屋」
ミケランジェロの「最後の審判」に対し、殉教者や聖なる処女を娼婦のような裸体で描いているという非難はその後も続いた。その非難はミケランジェロがルター派的であるというものだった。しかし、ローマ教皇パウルス4世が、もとのかれの弟子ヴォルテッラに命じてこの壁画の裸体に布を描きそえさせたとき、ミケランジェロは何も言わなかった。民衆は、それからヴォルテッラを“さるまた屋”と呼んだ。後に教皇クレメンテ8世がまたこの壁画を塗りつぶさせようとしたときは、ローマの聖ルカのアカデミア※が抗議して、これを行わせなかった。<羽仁 p.227>
※聖ルカのアカデミアとは現在で言えば「芸術家協会」にあたる。聖ルカが画家の守護聖人だったので,画家ギルドはどこの都市でも概ね「聖ルカ組合」を名乗ってたが、ローマの場合は公募と教育を主な活動としていたので「組合(ギルド)」ではなく「アカデミー」を名乗り,後世の公的な芸術家養成機関の模範となった。<※は代ゼミ教材センター越田氏のご教示による。>