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2: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-03-13 16:15:27 OMPVG0082

 本名はミケランジェロ=ブオナロッティ(Michelangelo Buonarroti 1475~1564)。1475年、フィレンツェ近郊の村で役人の子として生まれ、13歳の時、父の反対を押し切ってフィレンツェのギルランダイオという親方の工房に入り、石工となった。メディチ家の管理する古代彫刻庭園(ドナテルロがコシモ=ディ=メディチにプランを提出して設けられた)に出入りできるようになり、そこで見た古代の彫刻に見せられるようになり、少しずつ大理石を刻むようになった。そのとき、メディチ家の当主ロレンツォ(イル=マニフィコ)の目にとまり、その館に住み込んで修業することが許された。そこでメディチ家に集まる、フィツィーノやピコ=デラ=ミランドラなどの著名な人文学者から知的な刺激を受けたようだ。フィレンツェはルネサンスの爛熟期を迎えていた。
 若きミケランジェロは彫刻の前提として人体研究に興味を持ち、18歳ぐらいから人体解剖を始めていることが注目される。同じ頃先輩のダ=ヴィンチも盛んに解剖を行っている。<羽仁五郎『ミケルアンヂェロ』1939 岩波新書 p.111>
 ロレンツォが死んだ後、1494年にフランス王シャルル8世がイタリアに侵入、イタリア戦争(広義の)が始まる。フィレンツェではサヴォナローラがメディチ家を激しく批判し、追放してしまう。保護者を失った19歳のミケランジェロもフィレンツェを脱出し、ボローニャに逃れた。フィレンツェではサヴォナローラの神権政治が始まる。一旦フィレンツェに戻った後、後に教皇ユリウス2世となる枢機卿に招かれ、1496年にローマに向かった

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