教皇ユリウス2世の墓廟 「ピエタ」と「ダヴィデ像」で若くして名声を得たミケランジェロは、1505年にローマ教皇ユリウス2世に招かれたローマに行き、その墓廟を制作することになった。そのためのさまざまな彫刻をつくっており、『モーセ像』などが残っている。しかし、ユリウス2世は移り気な人で、墓廟用の大理石の代金を支払わず、ブラマンテに委嘱していたサン=ピエトロ大聖堂建築費に回してしまった。嫌気のさしたミケランジェロは、1506年、ローマからフィレンツェに帰ってしまった。