大司農(だいしのう)の常林(じょうりん)が仲長統と上党(じょうとう)にいたとき、常林が繆襲(びゅうしゅう)に言った。
「仲長統は他人の束縛を受け付けず、勇敢に直言し、小さな節義にこだわらない。諸郡が招聘して任官しようとしても、いつも病気を理由に就任しない」
仲長統は、沈黙していると思うと突然しゃべりだしたり、態度もころころ変わるので、彼のことを「狂生(狂人)」と呼ぶ者もいた。
献帝(けんてい)が許(きょ)にあった(196~220年)ころ、仲長統は尚書令(しょうしょれい)の荀彧(じゅんいく)の推挙を受けて尚書郎(しょうしょろう)に任ぜられる。