しかしその後の調査では古文書の多くが明治以降制作された紙に書かれていることが判明し、また古文書が見つかった昭和50年以前に知られていた歴史的事実は克明に記されているのに(亀ヶ岡縄文遺跡や十和田火山、岩木山の噴火、十三湖を襲った大津波など)、昭和50年以降に判明した歴史的事実については一切記されていないこと(例えば縄文時代最大の遺跡である三内丸山遺跡の事については一切記されていない)など矛盾点も多く、現在古文書として真偽のほどは明確にされていません。
しかし十三湖が昔は日本を代表する国際貿易港であった事は事実であり、地元の古老達は東日流外三群誌が世に伝えられる以前から「十三湖の湖底には遠い昔の建物や石畳の跡が見え、黄金の仏像を拾った人もいた」といっていたという記録が残されていることから、平安の時代は平泉に次ぐみちのく第2位の都市で国際貿易港だったことは間違いの無い事実だったようです