唯一の手がかりは、いくつかの石板に残された赤い顔料(オーカー)で描かれた岩絵だ。イノシシや鹿、そして人間らしきものが描かれたこれらの絵は、紀元前700年~500年頃のものとされ、これが建造物全体の年代推定の根拠となっている。しかし、建造物自体は岩絵よりもずっと古くから存在していた可能性も否定できない。