徳川家康影武者説は「家康は途中で死に、その後は影武者が将軍として振る舞った」という仮説です。 代表的なのは、関ヶ原の戦いの時点で家康が殺され、その後は別人が家康として生きたとするものです
よく触れられるのが、明治期の民間史論家・村岡素一郎が1902年に出した『史疑 徳川家康事蹟』で、ここで家康に別人説を唱えたのが大きなきっかけです
その後、隆慶一郎『影武者徳川家康』や、そのコミカライズなど、フィクション作品が大ヒットしたことで、「関ヶ原で本物が暗殺され、影武者・世良田二郎三郎が家康として生きた」という物語が広く知られるようになりました
歴史研究の主流では、家康影武者説はほぼ否定的に扱われています。 家康の行動や政治方針が、若い頃から晩年まで一貫している 外交文書や家臣たちの日記など、連続した一次史料に「途中で別人に入れ替わった」形跡がない 影武者説が拠り所にする「顔つきの変化」や「性格の違い」といった点は、史料批判の面から説得力が弱い といった理由からです