1361年に始まるオスマン帝国のバルカン半島進出は、1389年のコソヴォの戦いでバルカン諸国連合軍を破って一段と進み、 キリスト教徒への大きな脅威となっていった。1396年、ドナウ中流のニコポリスで、バヤジット1世はイェニチェリ軍団とシパーヒー(騎兵)部隊を従え、ハンガリー王ジギスムントの率いるキリスト教軍との決戦を行った。その結果、オスマン帝国軍が大勝し、そのバルカン進出は更に勢いつくこととなった。しかし、オスマン帝国は1402年、アンカラの戦いでティムールに敗れて事実上の崩壊に追いこまれ、バルカンでの領土拡大は一時後退、セルビアやハンガリーの領土も放棄せざるを得なくなった。その後、国力の回復に努め、コンスタンティノープルを占領してバルカン制圧を完成させるのは、ほぼ半世紀後、態勢を整えた後の1453年となる