兵隊の像の顔を見ると、あどけない顔をしている。年の端は、16~7歳といったところだろう。男性の言うように、兵隊の着ている軍服の作りから考えると、モデルとなったのは、日露戦争の戦没者なのかも知れない。大分市内には、日露戦争の慰霊碑などが相当数、建立されているという。それだけ多くの人がこの地から外地に送られたのだろう。このような像を建立するためには、それなりの費用がかかる。まだ貧しかった時代、このようなことができたということは、家柄も良かったと考えることができる