ベンガル太守と東インド会社の開戦
プラッシーはベンガル地方のカルカッタの北方にある村(現地ではポラシという)。ベンガル太守はムガル帝国から独立した地方政権で、当時シラージュッダウラが太守であった。ベンガル地方は豊かな農業生産力を有しており、イギリス東インド会社はその地への進出を狙い、フランスの進出に備えるためと称して太守の許可無くカルカッタ(現コルカタ)の要塞を増強した。ベンガル太守は工事中止を命じたが、イギリスが拒否したので出兵してカルカッタのイギリス兵を追い出した。東インド会社はただちにマドラス(現チェンナイ)から将軍クライヴの指揮する軍隊を派遣した。太守はフランス軍の援助を求め、1757年6月23日未明、両軍はプラッシーの野で対峙した。クライブの率いる会社軍はイギリス兵950、インド人傭兵2100、6ポンド砲8門。それに対して太守軍は歩兵5万、騎兵1万8千、にフランス人砲兵部隊の大砲40門が加わっていた