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1: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-07-13 09:24:11 OMPVG0082

最高位は西十両2枚目(1994年3月場所)。得意技は左四つ、寄り、突き、押し、張り手

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2: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-07-13 09:24:30 OMPVG0082

アルゼンチンでは同郷の星誕期ともに、日本の警視庁にいた[1]柔道家の相馬英樹の生徒だった[2]。また、アルゼンチン時代から相撲経験があり、1987年に開催された国際相撲選手権にアルゼンチン代表として出場した。国際相撲選手権出場により、更に相撲に関心が湧き来日。星誕期が陸奥部屋に入門していた関係で同じ陸奥部屋に入門した

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3: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-07-13 09:24:51 OMPVG0082

1988年5月場所初土俵。強烈な張り手を交えた突き押しから左四つに組んで寄る取り口で順調に番付を上げて行き、1992年11月場所には星誕期より1場所遅れて十両に昇進した。新十両の場所で9勝6敗と勝ち越し、以降十両に定着した。終盤まで十両優勝を争い、幕内を狙える場所もあったが、左膝を故障し1995年5月場所を最後に幕下に陥落した

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4: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-07-13 09:25:07 OMPVG0082

一時は三段目まで番付を落としたが、徐々に復調して幕下上位まで復帰し、十両復帰を目指して長く土俵に上がっていたが、2000年9月場所、東幕下9枚目で2勝5敗と負け越したのを最後に現役を引退。初土俵から一度も休場をせず土俵を勤めた。引退後、一度は母国アルゼンチンに戻り家業の手伝いをしていたが、通訳の仕事に就き再来日した。2002年に日本と韓国で行われたFIFAワールドカップでは、サッカーアルゼンチン代表チームの通訳およびアルゼンチンマスコミ対策のボディガードを務めた。その後、サッカービジネスをメインとした広告代理店で働いている

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