草分けは大正11年の塩味中華麺
大正11年の札幌で、北大前に「竹家食堂」が開店した。経営者は大久昌治氏(故人)。その後コックとしてやってきた中国人王文彩(おうぶんさい)氏によって、「肉絲麺(ロースーミェン)というメニューが加えられた。豚のもも肉とネギを細切りにして上に載せた、塩味の中華麺であった。それが形を変え、具に焼き豚、メンマ、ネギが入るようになる。
そしてその中華麺がラーメンと呼ばれるようになる。これが北海道ラーメンの起源。しかし現在「札幌ラーメン」と呼ばれている物は、それとは全くの別物になっている。
味噌ラーメンの開発が札幌ラーメンに大きな変革をもたらした。札幌「味の三平」の大宮守人氏(故人)がその創設者である。アメリカの大手スープメーカー、マギー者の社長がリーダーズ・ダイジェスト誌に、日本の食文化について次のように記述した。
「日本人は味噌という素晴らしいソースをもちながら、それを活用していない」
元来味噌好きの大宮氏の頭から、その言葉が離れなかった。当時のサッチョン族(札幌の単身赴任者)から「豚汁に麺を入れて欲しい」との注文を受けたのを機に、味噌ラーメンの研究を始めた。
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常連客用にテストメニューとして昭和30年から開発を手がけ、昭和36年には正式にメニューに加えられた。これが、今ではラーメンの定番となっている味噌ラーメンの草分けである