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1: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-09-11 12:28:40 OMPVG0082

皮剥ぎの刑(かわはぎのけい)とは、罪人の全身の皮膚を刃物などを使って剥ぎ取る処刑法。古代よりオリエント、地中海世界、中国など世界各地で行われていた。全身の皮膚を失った罪人は、長時間苦しんだ後に死に至る。執行から死に至る長時間の苦痛はもとより、皮をはがされた人体は正視に堪えるものではない。そのため、見せしめとしての意味合いも大きい。 拷問として、体の一部分の皮のみを剥ぐ場合もあった

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2: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-09-11 12:28:59 OMPVG0082

ギリシャ神話に登場する光と音楽の神アポロンは、サテュロスのマルシュアースと音楽の勝負をした。他の神を買収して勝利を得たアポロンは、「勝者は相手に何をしてもいい」との約束のもと、マルシュアースの全身の皮を剥いで殺した

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3: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-09-11 12:29:19 OMPVG0082

ヘロドトスの「歴史」によれば、アケメネス朝ペルシアの王カンビュセス2世は、職務を汚したと見なした判事を皮剥ぎの刑に処し、その皮で後任者が座る椅子を飾った。父親が皮剥ぎに処された場合、後を継いだ息子はこの椅子に座らなくてはならなかった

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4: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-09-11 12:29:42 OMPVG0082

ローマ皇帝のウァレリアヌスはサーサーン朝ペルシャとの戦に破れ、ペルシャ領内で皮剥ぎの刑に処された。ペルシャ王シャープール1世はその皮を赤く染め、神殿に掲げた

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5: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-09-11 12:30:00 OMPVG0082

キリスト教の聖人バルトロマイは皮剥ぎで殉教した。後の宗教画では、ナイフと自身の皮を持った姿で書き表される場合が多い。ただし使徒伝説は史実とは確認できない

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6: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-09-11 12:30:35 OMPVG0082

276年、マニ教の創始者マニは皮剥ぎの刑に処された

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7: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-09-11 12:30:49 OMPVG0082

1199年、リチャード獅子心王は城攻めの最中、敵方の弓兵にクロスボウで射られ、その傷が元で崩じた。彼は死のまぎわ、自身を射た弓兵ピエール・バジルの勇気を讃え、罪を許した。しかし、王の死後にピエールは皮剥ぎで処刑された

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8: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-09-11 12:31:26 OMPVG0082

中国では皮剥ぎの刑を「剥皮」(はくひ)と呼ぶ

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9: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-09-11 12:31:40 OMPVG0082

前漢の景帝の御世、皇族の広川王劉去が「生の人を割剥した」との記録が『漢書』にある

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10: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-09-11 12:31:59 OMPVG0082

三国時代、呉の暴君の孫晧は人々の顔の皮を剥いでは喜んだ。やがて呉が滅んだ後、晋の司馬炎と碁を打っていた王済が、その場にいた孫晧に戯れに尋ねた。「そなたは呉を治めていたころ、人の顔の皮をはがして脚を断ち切ったということだが、まことですかな?」孫晧が答える。「人臣として君主に礼を失った場合、その者に直ちに刑罰を下したものです」。当然のごとく答える孫晧に王済は恐れをなし、延ばしていた脚を慌てて引っ込めた

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11: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-09-11 12:32:16 OMPVG0082

五胡十六国時代、前秦の王の苻生は顔の皮を剥がした死刑囚を歌い踊らせて楽しんだ

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12: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-09-11 12:32:49 OMPVG0082

金はタタル部と共に、対立していたモンゴル部を討って族長のアンバガイ・カンを捕らえ、木馬に生きながら手足を釘で打ち付け、全身の皮を剥がして処刑している

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13: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-09-11 12:33:06 OMPVG0082

元の皇帝クビライに、ムスリムの官僚アフマド・ファナーカティーが仕えていた。彼は後に謀殺され、財産を没収されたが、役人がアフマドの愛妾のインチュの部屋を捜索していたところ、完全な形をした二体分の人皮を発見した。使用目的を尋ねたところ、インチュは「この皮は呪いに使います。祭壇に飾って呪文を唱えると、この皮が反応するのです」と答える。クビライはインチュと共犯者4名を捕らえ、衆人環視のもと皮剥ぎに処した

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14: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-09-11 12:33:27 OMPVG0082

明の太祖朱元璋は役人の不正に対しては厳罰をもって対処した。汚職が白銀60両以上ならば斬首の上、全身の皮を剥いだ。さらに、その皮の内部に草を詰め込み、ぬいぐるみのような姿にして見世物にした。この処刑は土地神の祠で執行されたため、民衆は祠を「皮場廟」と呼んだ。朱元璋は宦官に対しても厳しく、妻を娶っただけで皮剥ぎに処している

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15: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-09-11 12:33:54 OMPVG0082

かつて中米の地に栄えたメソアメリカでは、神々を祀る手段として人身御供が広く行われていた。特に穀物の神シペ・トテックなど、幾柱かの神に対する儀式の際は、石器のナイフを用いて生贄の全身の皮を剥がし取り、剥がされた皮を神官が身に纏って踊るなどの儀礼を行っていた。後にエルナン・コルテス率いる一団がアステカ帝国の軍と戦った際は、捕虜にされたスペイン人の中にも生贄として皮を剥がされた者が出たとされる。ただし、これらは純粋に宗教的な動機から行われたものであったため、刑罰を動機とする他の皮剥ぎの例と同列に扱うことは出来ない

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16: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-09-11 12:34:12 OMPVG0082

北米大陸のインディアンのうち、西部大平原に居住する部族には、倒した敵の頭の皮を剥ぎ取り、戦利品として持ち帰る文化が18世紀前後から定着した。元はインディアン独自の風習ではなく、合衆国政府がインディアンの頭皮に懸賞金を賭けたのを起源としている。ただし、合衆国政府が殺害の証拠として頭皮を求めたのに対し、インディアンの頭皮狩りは相手を殺す必要は無いため、頭に傷を残したまま生きながらえる者も多かったが、頭に残った傷は大変な恥辱だった

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