伊賀の「猪田」を所領とした豪族(地方権力者)の一人で、伊賀の豪族連合(伊賀惣国一揆)の中心人物の一人とされる。 ただし、現在に伝わる「伊賀十二人衆」のメンバーの中に彼の名はない
約5万の織田軍が侵攻してきた「第二次 天正伊賀の乱」の際、新しい砦を築いて百地丹波(三太夫)と共に篭城した。 ところが、ここで信長から和議の申し出があり、降伏した森田浄雲は伊賀の「一之宮城」という城の城主に任命される。 しかし「本能寺の変」で織田信長が急死したことで伊賀で争乱が起こり、それに乗じて織田家に反旗を翻すも、内乱の中で戦死した
ただし「第二次 天正伊賀の乱」で一之宮城で戦死したという説や、織田家に降った後に織田信雄に討たれたという説もある。 いまいち正体がハッキリしないが、現在の伊賀上野城に彼の鎧兜が展示されているため、実在はしていたと思われる…… 百地三太夫は伊賀十二人衆「百田籐兵衛」と同一人物という説があり、そして「百田」なので「森田」も同一の可能性はある