ではなぜ「帷子の辻」となったのか。 帷子辻の語源には諸説ある。一説には、平安時代初期の嵯峨野天皇の皇后であった檀林皇后橘嘉智子(たちばなのかちこ)が亡くなり、その葬儀の車がこの辺りに差し掛かった時一陣の風に遭い、棺を覆っていた経帷子が飛び散ったため、という説がある。しかし『文徳実録』によると、皇后は天皇の譲位後とともに嵯峨院(現在の大覚寺)に住んでそこで亡くなり、翌日現在の嵯峨鳥居本深谷町の山中の陵に葬られたという。