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1: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-03-23 14:44:25 OMPVG0082

昭和50年。当時の市浦町(現在の五所川原市の飛び地で十三湖の北岸地域)でひとつの古文書が発見されました。この古文書こそが「東日流外三群誌(つがるそとさんぐんし)」と呼ばれるものでその内容は事実だとすると日本の古代史を根底から覆すものだったのです。東日流外三群誌によれば今から2千7百年前の津軽地方にはアラハバキ王国(原日本人と朝鮮人、中国夏王朝から渡来した一族の混血民族)というものが存在し、その後奈良の地で神武天皇の軍団に敗北し津軽に逃れてきた長髄彦(ナガスネヒコ)が王位を受け継いだとされています。そしてこのアラハバキ王国は度重なる大和朝廷の東征をことごとく撃退し、その末裔は後の安倍氏(前九年の役で滅びますが、その血はのちの奥州藤原氏へと受け継がれていきます)につながっていくと記されています

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2: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-03-23 14:44:54 OMPVG0082

 この伝説の津軽王国の首都だった所が十三湊なのです。当時の十三湊は人口数十万、十三千坊と呼ばれる神社仏閣がたちならび、インド人、中国人、韃靼人(モンゴル系民族)も多く滞在し異国の宗教施設も数多くあったと記されています。その後奥州藤原氏の繁栄を支えた貿易港として機能し、平安時代末期には奥州藤原氏三代目秀衡の弟秀栄が十三氏としてこの地を治め、奥州藤原氏滅亡後も十三氏は存続し続けます。その後十三湊は安藤氏が統治することとなるのですが、1341年に突如十三湖を襲った大津波により一夜にして湖底に沈んでしまったのです

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3: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-03-23 14:45:09 OMPVG0082

 以上が東日流外三群誌のおおまかな概要ですが、この古文書は津軽の地で一大ブーム沸きおこします。なんせ自分たちの祖先は大和朝廷に打ちのめされた蝦夷氏だと思っていたのが、実は大和朝廷を何度も撃退したアラハバキで、しかもこの古代津軽王朝は邪馬台国などよりもはるか以前から存在しているというのですから、津軽の人達は「オラ達の先祖はアラハバキだからな」と自慢したそうです。また当時の文化人達にも大きな影響を与え、NHKの大河ドラマにもなった中世を舞台にしたある作品にはこの東日流外三群誌の世界観が多く取り入れられています

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4: アセム雨宮◆UD16NvPYxY
2026-03-23 14:45:31 OMPVG0082

しかしその後の調査では古文書の多くが明治以降制作された紙に書かれていることが判明し、また古文書が見つかった昭和50年以前に知られていた歴史的事実は克明に記されているのに(亀ヶ岡縄文遺跡や十和田火山、岩木山の噴火、十三湖を襲った大津波など)、昭和50年以降に判明した歴史的事実については一切記されていないこと(例えば縄文時代最大の遺跡である三内丸山遺跡の事については一切記されていない)など矛盾点も多く、現在古文書として真偽のほどは明確にされていません。
 しかし十三湖が昔は日本を代表する国際貿易港であった事は事実であり、地元の古老達は東日流外三群誌が世に伝えられる以前から「十三湖の湖底には遠い昔の建物や石畳の跡が見え、黄金の仏像を拾った人もいた」といっていたという記録が残されていることから、平安の時代は平泉に次ぐみちのく第2位の都市で国際貿易港だったことは間違いの無い事実だったようです

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